駄文(3/n) 物事ができる人

こんばんよ。仕事してたらこんな時間になったので駄文を。

仕事のできる人、世の中で頭のいい人は「素直な人」なんだと思う。どんなに嫌なヤツでも腹の立つヤツでも、たぶん根は凄く素直な人なんだと思う。たぶん、そんな人は何処でも上手く行く。何歳になるか知らんけど、いずれ上手く必ずいく気がする。

そう考えると、生まれた瞬間からねじ曲がっているタイプの私みたいなのは、かなり生きづらいのも頷ける。生きているのが下手くそすぎる。

【メモ】

好きな声優さんにお話しを聞く機会があった。目標の達成のために「根拠のない自信が大事」なんだそう。自分を信じて、純粋に頑張れることは凄く大事なんだと思う。

東大で働いていたとき面白いことを聞いた。受験が得意な人は出題者の意図を理解することができるそう。出題者がこう考えているから、答えはこうと導き出せるらしい。

勉強ができる人をみると、確かに素直である。指示されたこと、書かれていることを素直に飲み込むことが出来る。

確かザコシショウもそんなことをいってらした。

これらが私には出来ない。どうしても自分の思ったとおりに動かしたくなる。指示を素直に聞けない。常に疑問に思っている。ここら辺が私がダメな原因な気がする。態度としては、悪くない気もしている。そういう態度な生き方も大事な気もするからね。

ただ、成長したいときに、この全く素直じゃ無いところが、邪魔をしているのも事実であろう。

そろそろ、色々一旦全部壊してゼロからスタートするのも有りなのかもしれない。研究生活も9年目である。そろそろ謙虚に素直に生きたい。色々なことでイライラする。正常なのだろうか?異常なのだろうか?

段々歳をとって、使い物にならない人間になっていくのが目に見えている。

生きるのが難しい。

山田ルイ53世「社会は美談の着地しか咀嚼できなくなった」

なんかもう色々面倒くさいので今日は仕事は一旦やめである。Youtubeを半ば習慣的に開くと偶々かリコメンドシステムのおかげか、山田ルイ53世の動画がサジェストされた。

久々に自分の気持ちをしっかりと表現した言葉だったので忘れないようにメモしておく。

動画は、山田ルイ53世さんのインタビューで、彼の影響を受けた本を元に、人生観を語るものであった。私は彼のように大変な人生を送ってきてないけど、私なりに泥水すすったり、10年以上前に全く動けない日々もあったり、今もその延長であったりするわけで、彼の言葉はまさに自分の気持ちを正しく伝える良い言葉だったと思っている。

詳しい内容は動画で語られてるし以下はただの私の思ってること。動画の内容と乖離すると思うし私の人生観は浅いけど、メモ程度に書いておく。

私は結婚もしてるし猫もいるし、一応は仕事もしてるし、世間的に見れば幸せなんだと思う。私もそう思う。あとは子供が出来たらいいなとか、PIになれたらいいなとか、またコミケに出たいなとか、そんな感じ。目標とか高尚なものでは無くて、人生の中でそう言うのがあってほしいという感じ、なんとか生き延びたい、に近いのか。

ただ、仕事とか、一生懸命にやりたいこととか、ずっと上手く行かないし、上にも書いたとおり、全く動けなくなった時期があった。本当にしんどいときって、動けなくなるんやなぁというどん底感というか、そういう時期があった。

あのとき、私自身も若かったから、美化したがってたんだよね。アレがあったから、今の素敵な日々があるんだなんて、まるで青春系アニメの主人公のようにいつか思えるように、そう思っていた時期が私にもあった。なんでだろうね。損をしたくないのか、他人を見返したいのか、わからない。でも、そんなふうに思ってた。結果として、無駄な時間だったと思っているし、無能を救うための慰めにしかなっていなかったと思う。

私自身、青春系アニメとか、キラキラ系のテレビ番組とか、キラキラ系研究者とか、楽しそうな人とか、見るのが未だに嫌である。その人が嫌いとかじゃ無いんだけど、もっと人生は泥臭いもので、クソつまらないものなのだと今でも思っている(そんな自分に酔っているのかもしれない)。

だから、未だに研究が好きな人は理解ができないし、音楽が好きな人も理解できない。本当に全て辛い作業。本当に辛いけど、案外誰にも理解して貰えないし、そんなことは学生に言ってはならないのだ。誰もドクターに来なくなるw

あの経験はきっと生きるよ、そんなことを言われることもあったが、無責任やと一蹴するのは失礼なのだろうか。

なんか上澄みだけをすすって生きてないっすか?あなたが今簡単にこなしていることは、誰かが血反吐を吐いて泥水をすすって、そんな生き方をして得られた結果に過ぎないのでは。そんなことを思ったりする。都合がいい人というか、単純な人というか、素直な人というか。幸せに生きられる人はそんな感じ。(また別に書きたいが、私は、世間一般的に頭がいい人は素直な人だと思っている。何でも素直に受け止められる人は頭が良い。)

何とか自分を納得させるために、この泥臭い作業には意義があるのだとか、ちょっと我慢したら将来報われるとか、どうしてもそう言う美談にしたがる。

今は、本当はもっと汚いものなのだと思いながら生きているし、私はそれでいいと思うようになった。彼が、私が思うことを「社会は美談の着地しか咀嚼できなくなった」と言っているのかは???であるけど、自分の人生観と照らし合わせたときに、共感するところがあった。

普段共感することなんて殆ど無いので、メモとして残しておく。


今日の一言:

PI的には金かけて雇ってるのに何で外で仕事するのだし、私たちとしても、PIを裏切っている気もするので気持ち的に摩耗するし、かといって誘ってくださる分担者とか、自分の仕事を続けたいとか、色々ある。20%とかいうクソしょうもない時間しか割いちゃダメと言われるし、なんなんだこれ。私らなんか、深夜でも構わずにタダ働きするんだから、業務時間100%雇用で、残業時間100%でその他の仕事でええやん。そもそも就労規則もあって無いようなもんなんだから、なんでここで人間関係も怪しくするような謎制度を設けるんやろね。考えた人が相当に正確が悪い御仁なのかと疑わずにはいられない。申し訳ないが、昔よりも遥かに色々しんどいんじゃないすかね。PIから若手まで誰も得しない、お互いに潰し合わせたいのか。

Typstで転置など

こんばんよ。

以前、Typstで転置を表現する豪快な力業を記載しましたが、キチンとしたやり方がありました。

これには、Physica(https://github.com/Leedehai/typst-physics)という自然科学に特化したパッケージをインポートして利用します。

#import "@preview/physica:0.9.3": *

コロン以下アスタリスクは、パッケージ内のものを全て利用するという意味です。Pythonと同じですね。

インポートしたあと、転置したい場所で以下の様に書くと、転置の記号が書けます。(※他に太字vをvvなどで定義しています)

$ qtheta(vv, hh) prop exp(-vv^TT W hh - bb^TT hh - cc^TT vv) $ <def_rbm>

とても綺麗。

このマニュアルの3ページ、9ページに記載があります。私としては明示的にTTと書くのがオススメです。

https://github.com/Leedehai/typst-physics/blob/v0.9.3/physica-manual.pdf

ではでは〜


(今日のつぶやき) 前処理は何時でもキツい。本当に今でも苦手。我が国も独自フォーマットだらけでしんどい。

AlmaLinuxでfirewalldが起動出来ない

$ sudo systemctl restart firewalld.service
Job for firewalld.service failed because a timeout was exceeded.
See "systemctl status firewalld.service" and "journalctl -xeu firewalld.service" for details.

さくらVPSにて遭遇。コマンドを入力すると端末がずっと反応しなく、数分後にエラーを吐き出した。タイムアウト。

プロセスを見てみると 

$ ps -ae | grep firewalld
 493460 ?        00:00:00 firewalld

というわけで、一旦無理矢理プロセスをkillして起動し直すことに。

$ sudo pkill firewalld

この処理が正しいかどうかは分からないです。パワー忍者です。

これで以下のコマンドから再度スタートしてあげれば良い。

$ sudo systemctl start firewalld.service

祖母について考える

祖母が先日他界した。昨日はお通夜、今日は葬式・法要。案外実感は湧かないまま来たし、別にこれと言って悲しいという感覚も持たなかったし、こう言う時は持たないようにしている。ただ、やはり儀式が始まると色々思うことはあるし、たまにしんどいなーとボヤボヤ思う。そう思ってもしかたがないし今生きている人間の生活に支障があるのも困るので、そう思わないように訓練されてはいると思っている。

さて、明日は別れの言葉を述べることになっているが原稿は書かなくていいかなと思っている。面倒くさいし今更水くさいのはボクが最も苦手としているところである。せっかくなのでここで祖母について振り返り、明日の時には簡単に2,3分くらい話せるようにしておきたい。故人としても、こんなへんぴなブログで語れるとは思ってもみなかったであろう。


そもそも、私はおばあちゃん子なのである。両親が共稼ぎだったのもあって、保育所の迎えから中学の帰りまではずっと祖母の家だった。長期休暇は朝から夕刻までを祖父母宅で過ごし、昼飯は必ずご馳走になったし、大学生になってからも帰省した際は夜ご飯にお邪魔してご馳走になったりもした。祖母の料理はどれも美味しかった。個人的にはうどんとかチャーハンとかカレーが印象に残っている。なんでか分からんが、味が濃いわけでもないのに子供ながら美味しかった記憶がある。お通夜で聞いたが、別に料理教委室とかで習ったわけでは無く、自分で色々研究してたんじゃ無いかとのこと。

ライスカレー。今となっては食器も懐かしい。

祖母と言えば数学という言葉なしでは語れない。祖母は数学がとても好きで、暇があれば大学入試の問題を解いたり高校数学の問題集を解いたりしていたなかなかの変わり種である。テーブルの上には必ず問題集と雑紙が置いてあって、家事が終わるって休みの時間になるとおもむろに数学を始める。毎年の和算のイベントへの投稿も欠かさず、高みを目指していた。昔の師範学校では、物化数学みんな首席である。本人に曰く、他にも強い女性がいたらしいが、まさに祖母の無双状態だったらしい。ずっとそういうお話しは聞いていたけど、昨年施設に入っていた祖母と話していると、何でもその賞状などは未だにタンスの奥に取ってあるらしい。「おじーちゃんとかは働いてからも賞が貰えるけど、私はあれだけだから」と弱々しくなってしまった声で語っていたのが今で強く印象に残っている。転勤族だった家庭だったが残すほどには、大事だったのだろう。時代が時代だっただけに、働きたかったのかなとか、寂しい気持ちになった。色々大変だった中頑張ってきたんやろうね。

私は残念ながら数学は苦手だし、困ったほどにアホチンである。しかし、小学校、中学校から帰ると勉強の時間に数学を教えてくれたのは祖母だったし、今研究をやってなんだかんだ勉強を未だにしているのは祖母の影響もあるんだろうなぁとも思っている。教えてくれる時の祖母はとてもいきいきしていたと今更気が付く。本当に数学が好きだったんだろう。


残念ながら眠くなってきたし本日は朝から色々忙しいから、そろそろ書き進めるか悩んでいる。

小さい頃から面倒を見てもらったから、色々怒られた気もするし、色々褒められた気もする。女性は中、男性は外の時代を生きてきた祖母にとって、私のような子孫にはとても期待してくれてたんだろうなと思っている。たまに自分の子供の話を嬉々として語ってくれたり、過去のそう言う思い出を語ってくれたり。それが一つ、祖母の社会進出にもなっていたのだろうなと思っている。家庭での貢献が社会進出で無いとは思っていないが、当時を考えるにそんな感じがしている。

私自身ももっと生前に色々と結果を持って帰りたかった。ちょっと自分のことを盛って報告したりした気もするが、祖母も嬉しそうに聞いてくれていたから、それはそれで嬉しい。


小さい頃、夏休みとかはたまに買い物に付き合ったりしていた。私の住んでいたのは八木山だったから、山だらけの道は子供にとってハードだった。祖母はそれを買い物カートを持ちながらぐんぐん進むものだから、私はいつも追いつくのが大変だった。はやいね〜なんて話してた記憶がある。なんでだかは忘れたが、大学生になってから同じことをしたことがある。もうその時には私が歩くのが速くなったのか祖母が遅くなったのかわからんが、だいぶ時の流れを感じたし、ちょっと寂しくも感じた。


自分で考えて動く人だったと思う。そして、大の心配性なのだけどチャレンジングなことができる人だったと思う。パソコンもやったしケータイもやったし、畑もやったし買い物もやったし、家事もやったしその時には必ず色々な洞察があったと思う。何をどうしたら効率が良いとか、何をどうしたら上手く行くとか、そう言う話は良く聞いた気もしている。一方で心配性で、細かいところまで気が回るタイプだったとも思う。


孫は大変良くしてもらったし、恐らく子供以下は皆同じ。私らの活躍を本当に自分事のように嬉しく聞いてくれて、誇らしく話してくれた。さっきも書いたけど、恐らく我々の活躍が、家の中にいる女性には本当に大事だったんだと思う。ちょっとでもばーちゃん孝行できているといいのだが。わからんね。家を固く守って子供達を輩出する、The 昭和の女性。激動の時代を生きてきた、強く逞しい女性だったんだと、大人になってから思う。

祖母は死んでしまったわけだけど、別に祖母の意思が消えたわけではないし、それはボクらにも脈々と受け継がれている。人間というのは面白く、近くにいた人の影響を受け継いでいくんだろうなとは思っている。勉強をしたり、学生を教えたり、しゃべり方の節々をとっても、あ、祖母と似ているなと思うことがたまにある。だから、別に祖母が死のうがなんだろうが、別にこれからもそう言うものは子へ孫へ受け継がれていくんだろうと思っている。


ここ数年で祖母に言われた面白い言葉を幾つか。

「別に夫婦で仲が良いわけではないのよ。」

草。奥さんの「どうしたらそんなに結婚生活が長続きするんですか?夫婦円満のコツは?」の質問についての回答。本当は仲が良いんだろうけど、あの時代はお互いにしっかりと役割も決まってただろうから、譲ることは多かったんだろうな。

「仕事がもらえるだけいいじゃない」

死んじゃう2週間か3週間前に、お見舞いに行ったときに言われた言葉。ちなみに、祖母はこの言葉を元気なときも言っていたから、恐らく祖母の根幹の一つなんだろうね。「忙しいんだ、よくわからん仕事も沢山あるしなぁ」って、声も出なくなった祖母に言ったんだよね。その時カスカスの声だったけど、いつもと同じことを言っていたよ。確かにそうだね。仕事を貰えているウチが花なのかもしれないわ。これ、どうなんだろう。やっぱり上に行くときにはある一定の我慢が必要だし、社会で生きていくならそう言うタフな生き方も必要なんだろうね。


相も変わらぬまとまりのない文章で、深みもない文章でダラダラと書いてしまった。ちょっと寝て、法事に臨むことにする。

ではでは〜

駄文(1/n)

駄文。最初は高尚なタイトルを付けていたけど、しっかり書く気も失せたので。

まとめて文章を書くことは苦手だし、自分の思考の整理の為に垂れ流しておく。日記としてプライベートにしないのは何処かで誰かと話したいからなのかもしれないし知らない。いずれまとめられたら良いかもしれないが価値はないだろう。

書いている内に元気になって、また鬱になってきたので途中で書くのをやめた。何事もめんどくさい。

前書き

  • 別に特定の誰かとか組織とかをどう思ってるかとかではない。
  • 皆さんに感謝してはいる。
  • 私の長い研究生活に於いて総合的に思っていること。
  • そもそも自分に力があれば発生しない問題かと思う。

将来

どうなりたいのか

未だに何が理想型なのか分からない。ただ、最終的に研究室は持ちたいんだと思う。その時に、研究室として独立して、なるべく他の所から干渉されないことが理想である。一人が好きだし、可能な限り一人でいたいんだと思う。研究者ってそんなもんでは?今関わっているプロジェクトとかは大人数でやるものだから、そうじゃない人もいるのかもしれない。でも、とにかく極力一人でいたい。こんなこと書くと就活に影響しそうだから敢えてフォローするなら、他人と議論するのは有意義だし、同じ目標のある人たちと頑張れるのは幸せなことだとは思う、とは書いておく。

いつか自分の生きている間に、ちょっとだけでも人々の生活が豊かにできれば良いなとは思っている。どんな形であれ、ちょっとは社会貢献してから死にたいものだ。

大学のデメリットって何なのか

色々ありすぎる。最近一番感じるのは、世界が狭すぎる。皆知り合い。これ凄く困っていて、しっかりと主張が出来ないことに繋がっていると思っている。何か嫌なことがあっても言ったら終わりなんじゃないか。これは周りがいい人に囲まれている現状でも同じだと思う。悪い噂はあること無いこと含めて一気に広がるでしょ。この文章を書くことすらリスク。狭いコミュニティの中で生きていかなくちゃならないので、凄く生きづらさは感じる。下手なこと言ったらアカデミアでは生きられない。「あいつヤベーんだって」。これが致命的。もちろん他人に気を遣うことも凄く大事だと思うし尊敬するのも大事。ただ、残念ながら色々と構造的にバランスが悪すぎて、お互いにその関係を構築するのが絶望的に厳しい。任期付きの半ば無職はとても分が悪いんだ、そんなことすらも言えない。「話聞くよ」と色んな人が言ってくれるけど、アカデミアという構造上、それをピュアな意味で捉えるのはかなり難しいんじゃないかな。とてもありがたいんだけどね。結局、いつでもイエスマンしか生き残れない気もする。あとは運ゲーで生き延びるかその辺じゃないっすか。

ヤベぇのに捕まると、どんどん弱い立場の人間はジリ貧になる。もっと勉強する時間が無くなる、もっと仕事する時間が無くなる、もっと弱くなる。残念ながら。

給料も安い・全体的に斜陽・治外法権etc.

よく分かんないことが沢山あるのが大学です。(世の中どこでもそんなもんか。)しんどい。悪いことを平気でやる人はごまんといる。

別に今の所属が原因ではないことは強調しておくし、お世話になった人たちが嫌いとかそう言うことでもないことも強調しておく。

大学にいるメリットって何なのか

研究室を持ちたいのなら研究所でも良いし選択肢は色々あると思う。お給料だってそっちのが良いと思うし、特筆しないが大学特有のヤバさがないのも良いと思う。

じゃぁ大学は何が素晴らしいのかというと、学生さんと関われることなのかなと思っている。学生さんが成長して出て行ってくれるのを見られるのは本当に素晴らしい、嬉しいことだと思う。素直に、自分も一緒に頑張れる気がするのは大学だろうなと思っている。今まで一緒にやってきた学生さん達が素晴らしい子達ばかりだったのは、自分の中にかなりプラスに働いている。それすら失ったら、たぶん大学は辞めている。

それと、自分の研究テーマをしっかり持てることも良いのかな。この辺は研究所のこととか知らないからなんとも。

トータルでプラスなのかマイナスなのか

大学のメリット的にもデメリット的にも、±0かなと思っている。鬱になるときは凄く鬱になるし、こればかりは避けられないと経験上思っている。あれ、鬱の方が多いからマイナスなんだろうか。もうちょっとだけ大学にしがみついてみようかと思っている。

実はこんなことを思っているのがしょうもない

これでは大物になれんなとも思う。クソくだらない小さい人間である。

ただ、もっと自由に何事もやれれば、やるだけの実力があれば、将来は大変楽しいものになると思う。今は我慢なのか?修行なのか??

なるべくのびのび安心して研究したい。私は最初からそれは一度も体験したことがない。環境と言うより個人の性質の問題かもしれない。わかんない。たぶん、研究楽しいと思ったことは一度も無いかもしれない。わかんない。

何すべきなのか

知らんが勉強は続けなくちゃいけない。しょうもない論文は書きたくないけど、書かないよりはマシなので、とにかく論文数を増やしてなるべく早めに自立した方が良い。安心して研究したいのかもしれない。ずっと昔から、色んな意味でソワソワしている。

今のボスもそうだけど、できる人はとっとと先生になっている。そこまで行ければ、忙しくても文句はないかもしれない。そんなことないか。

わからん。

愛猫が病気再燃で倒れた。このクソみたいな文章を朝の5時頃書いていたら倒れた。今はカフェで診察を待っている。とりあえず一命は取り留めた。先生明朝まで対応してくださいありがとうございました。

俺も泣き言言わずにしっかりしないと。

ではでは〜

第26回CEReS環境リモートセンシングシンポジウムに参加しました

弊研究所の主催するシンポジウムに参加してきました.私はここに所属する前に,共同利用申請をしていたので,その発表も兼ねての参加です.

一緒に研究した方もいらして,久々にお話しできて嬉しかったし勉強にもなりました.今後の研究の計画も何となく立てられたので良かったです.

シンポジウムの方は,座長の方もさせていただきました.個人的には立正大の藤田先生の航空気象のお話しが興味深かったです.

あと,地震の前兆?として発生する波の話も面白かった(難しくて専門的に書けません)

観測屋さんから利用者まで,世の中広いなぁ,今後何をしたら面白いかなぁと将来へ思いを馳せました.

懇親会でも,諸先輩方の多様な人生観,研究観をお伺いでき,とても刺激になりました.

またこれからも頑張ろう.

Typstでよく使う変数を登録しておく

2024/06/23追記:転置に関する記載には改善の必要があります。最新の記事をお読みください。


最近、Typstにハマっている。TeXよりも簡単に導入できて(MacならHomebrewでも入る)PDFに変換するのも早いので、論文を書きたいとかそう言うどっかりしたタスク以外も楽しく使える印象である。

ただ、現在、転置行列を書くことが出来ず(^Tで我慢すれば良いのかもしれない)ちょっと困っていた。

そこで、以下の形式でよく使う変数や機能を登録しておくようにしている。

#let trp(matrix) = $matrix^⊤$
#let xk = $bold(x)(k)$
#let ct = $trp(bold(c))$

一番目の例は、転置行列をtrp()で書くことを可能にしたもの。二番目の例は太字(ベクトル)のxに下付文字kを付けたものをxkで書けるようにしたものである。同様に、三番目のctは以下略。

それぞれ、以下の様に表示される。

$ y(k)= ct xk + w(k) $ <defy>

便利。