科研費を書いていて思うこと

科研費の締切が迫っているのに殆ど書いていない。この数年間、全然アイデアが浮かばないし、最悪なのがモチベーションが上がらない(評価者のみなさん、これを見て不採択にしないようにお願いしますよ〜)。

研究を始めてから、どんどん、凄く不自由感を感じている。最近は研究をゼロから考えることすらなくなったせいで、全くアイデアが浮かばないし、品質が色々な与えられたのを無理矢理達成しようとするから、ただただ疲弊している。研究でないこともしないといけないから、それでも疲弊する。とにかく疲弊しているのは間違いない気がする(省察するに、ここら辺で上と対話があると良いのかもしれないが、情けない結果しか出ないものだから話しづらかったというのはあるのかもしれない)。

組織に属するからには、組織のために、というのは、正しい考えな気もするし、正しくない考えの気もする。大事な20代、30代を、他人の成功のために費やすことがどれほどしんどいことなのかと考えることがある。

最近、勝手にゼミ室を借りて通知を全部切って、一人で引き籠もるようになったけど、やっとそれで、色々と仕事が進むようになってきた。本当は良くないのかもしれないけどね。

結局パーマネントに採用されるためには、何本論文を主著で書いているかだけなのだ。ぶっちゃけ機関への貢献なんて、あってもなくても、あるように取り繕えるし、対して貢献がない人でもパーマネントになっているのだから、いかに雑用をこなして組織のために尽くしてきたかなんて見向きもされないだろう。論文10本書いてる奴(貢献ちょっと)と論文1本書いている奴(貢献することに尽力)では前者の方が遥かに有望だわナ。わたし、採用に当たる先生方がまず論文から評価するの知ってる。第一、組織の貢献なんかで評価してたらもっと国際社会から置いてけぼりになるでしょ。

この10年間何をやってきたんですか? 海外で皆さんが研究している間、ワタクシは国内の為に陰日向なく働いておりました!

めっちゃ面白いやん。

今、色々疲弊している。とりつく島もない。情けない。昔はどんなにしんどいことでも気合で行けると思っていたけど、なんだか歳をとったのか、全然動けなくなった。頭も働かなくなった。楽しいアイデアを、大きな背景の中から持ってくることができなくなった。少しでも世のためになることをしたいけど、世の中の足をひっぱてる気さえする。

科研費を書きながらそれをヒシヒシと感じる。こんなに直前まで何も書けないのは初めてである。

もう時間も無いけど、今持てるもので考え抜こうと思う。

それと、こんな時でも助けて下さる方々への感謝は忘れないようにしたい。